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#4climax

♯4はかなりTVシリーズを意識していますよね。
氷雨の物語がななの筋をたどっているのでそう思ったのですが、舞台セットがまさしくそう。赤いカーテンと塔にばかり気を取られていましたが、左右に分かれた階段は、よく見ると真っ白ではなく灰色で、戯曲スタァライトを暗喩しています。(シークフェルト公演の白い大階段が印象的だったのでその続きで見てしまってた)

そして綺羅星ディスタンスの最後。華恋がフローラ、ひかりがクレールのポジションが守られています。クレールとフローラは塔の頂上のセンターでキラめきを奪い合う。アニメでは手をつないで二人でポジションゼロをしますが、♯4では手をつながずに華恋は一人で塔を降り、そのままひかりの前から姿を消します。

あとは言わずもがな、華恋の髪飾りの使い方。このすがすがしいラストが見られたのが一番嬉しかった。

アニメも舞台も、華恋は今まで「舞台に立たされてきた」感じがあったんですけど、今回は自分の意志で舞台に立ってたのもよかったな。

つぶやき

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#4climax

綺羅星ディスタンスの歌割り、見れば見るほどひさななすぎませんか。

A~Bメロを各ペアで歌っていく形ですが、三段階に分かれたステージの一番上で歌うのはひさななだけなんですよね。塔のふもと、ステージの真ん中に引かれた子午線を挟んで一瞬だけ向かい合うのはえもすぎました。


続きから氷雨ちゃんの孤独についてのメモ。


氷雨の孤独は、無響=誰にも響かない(響かせるつもりのない)孤独。
BGのプレコールに「積み上げるこの暗闇に」とあるので、ネガティブな孤独ではなく、好んで孤独になり一人で淡々と自分と向き合っている。

Delightで晶に対して「孤独に疲れるときもあると小春さんを見ていれば分かる」という台詞があるので、氷雨は孤独だけどそれに疲れることはない。つまり自ら好んで孤独を選んできた。その時間が氷雨の歌を高めてきて、氷雨はそのことを知っている。


ここから妄想。
舞台の『わたしたちがここにいる理由』のななの歌詞「慣れていた当たり前の孤独 舞台が変えてくれたの」を氷雨に当てはめると彼女の思考を追いやすいです。「慣れていた当たり前の孤独、それが高校で出会った舞台と仲間たちが変えてくれた」。ななは♯3のレヴューで「別れ」を演じ(劇場版を経て)自分の迷いを断ち切ります。氷雨はそれをしないまま「不合格通知を貰うこと」を選択します。

これが氷雨なりの別れ方(初雪の日と同じ😢)です。けれどいざ不合格通知をもらい孤独を突きつけられたとき、「心が壊れそう」になる。それくらい氷雨にとって青嵐の存在が大きくなっていて、自分の卑怯さに自己嫌悪に陥る(♯2と同じ😢😢😢)

ななで一度激しい自己嫌悪と後悔を抱き、BGとDelightで「相手と向き合うこと」を覚えた氷雨でしたが、それでも「自分は孤独なんだ」「孤独でも全然平気」と心のどこかで思っていたんだろうな~と思います。BGではさくらが登場して小春が立ち直ればそれでOK、Delightでも文が登場して晶が笑顔になったら颯爽と身を引きますし。

孤独についてはよく知っているけれど、寂しいという感情を知らなかったんじゃないかなあ。(こういうキャラクター、他にいないかなあ…)


台詞にある「他人に振り回されて自分が分からなくなっていた惨めな私」がどの時点の氷雨ちゃんなのか、少し考えます。たたむ

らくがき

#4climax

卒業式の「Green Dazzling Light」の振り付け。

氷雨ちゃん、青嵐として(小春と涼と一緒に)斉唱し、Delightした晶と目を合わせて、一列に並んだあとclimaxした香子と目を合わせて、真矢と星を見上げて、歌唱が終わってやっとななと目を合わせて手を繋ぐ。

曲終わりまで氷雨とななは隣同士になることはあっても決して目を合わせない。卒業してやっと、目を合わせて手を繋ぐようになってる。ちなみにななは、曲中ずっと聖翔の子を見てる。

最後の最後まで二人は視線を合わせないのが印象的というか、高校生活を濃縮したような振り付けになってるんじゃないかと思うと味わい深いです。


(追記)
門山さんのインスタで「電話のシーンの稽古で向き合ったら涙腺崩壊した」とあり、グリダズも涙腺にくると書いてあったので、この二人が不自然なくらい視線を合わせないのは門山さんの涙腺決壊を防ぐためだったのかもしれない😳 なんにせよ、門山さんも小泉さんも、氷雨とななの関係をすごく大切にしてくれてるのが今作で分かってよかった。ツーショット写真も久しぶり!

ひさななを描きたい気持ちもあるんですが♯4を見るのに忙しくてなかなかそこまでいきません。余韻にひたりまくる派です。

つぶやき

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ギャラリーにフラスタ絵をアップしました

#4climax

♯4は場面転換が多いせいか初見ではつかみきれなかった部分もあったのですが、だんだん興奮も落ち着いて感想がまとまってきました。

作家性とかメタ的な視点を入れるの良くないという方もいるようなんですが、私はそういう点もある程度わかってたほうが作品を楽しめる派です。

三浦脚本の舞台は通算6本目。再会アイズを含めると7作目ですので、どのように構成していくのかは分かった上で、個人的には大大大満足、クライマックスにふさわしい、それこそ三浦脚本の底力を感じる、これまでの集大成だと思いました。



♯3で自分VS自分という個を描く上での最終形をやり、BGで「舞台に見放されて(ある意味で舞台少女の死)からの再生産」をやり、DelightではBGを進化させた、アドリブエチュードのレヴューとしてこれ以上ないものをやった。もうないだろう、と思ってました。もう新しいものは出てこないだろうと。

私、劇場版も「新しいものを見た」という感じはなかったんです。テレビアニメを踏襲して規模を大きくしたものというのが初見の感想で、対戦カードも新しくは無かった。脚本家の樋口さんがスタリラの中で担当されたシナリオも、TVシリーズの枠内から突破できない感じがありましたし(樋口さんの強みは沢山の情報を一本の物語にまとめ上げることだと思ってます)、♯3のレヴューはお約束と言えるものですし、BGを見ていればDelightのレヴューも予想の範囲内ではあります。

なのでスタァライトというコンテンツの中で、レヴューの形態がすっかり出尽くしたのだと感じていました。

でもまだ新しいことがあった。

♯4のレヴューはこれまでの前提から作り替えたレヴュー。予想はしてなかったけれど、私はこれが見たかったんだと心の底から思いました。そしてこれは劇場版の後じゃないと描けないレヴューでもある。


三浦脚本の弱いところは、キャラクターのバックボーンを生かしたお話作りなんじゃないかと思います。三浦さんの中で描きたい舞台少女の像が明確にあるので、それを描くためにこれまでの成長がないがしろになる子がどうしても出てくる。だからそのへんにこだわるのはやめました。氷雨はななの成長を示す礎となったのです。門山さんが全力だから歌と演技がまた胸に刺さるんですよね、「なんでこんなに可哀想にしたの三浦さん」と思ってしまうほどに😂

でもちゃんとフォローされてたしライブパートでは可愛い氷雨ちゃんたくさん見られたから、最初は混乱したけど今は大丈夫です。

ななも、スタァライト至上一番優しいななだったのではないでしょうか。ななの根幹は優しさだと信じてきた私は最最最高高高の気持ちです。誰かの手を引ける子だと思ってたし、そういう姿がずっと見たいと思ってたし、その相手は聖翔の子では物語的に説得力がないから、相手は氷雨だと信じて、それを信じて3年以上もひさななを描いてきて、その光景が目の前で見られたのは、やっぱりめちゃくちゃ嬉しい。

♯3でなかなか苦しい感じだった真矢ちゃんも、自分の足で立ち上がってくれたし、主席の務めを果たす姿が見られたのは最高だったな。真矢ちゃんじゃなくて真矢様だった。私の好きな真矢様が見られて本当によかった。他のキャラクターもみんなよかったです。みんな原点に立ち返った感じがして、長かったけど、クライマックスだからこそこういう彼女たちにたどり着いたとも言えるかもしれません。

二層展開式のこのコンテンツ、全力のアニメと全力の舞台がぶつかり合うことで高みに上っていくものだと思っているので、好みはあるでしょうが、あの劇場版を凌駕する舞台だったと自信を持って推せます。新プロジェクトが始動するそうなので再演は難しいかもしれませんが、せめて映画館で上映してくれたら嬉しいな。大音響、大スクリーンで、あのレヴューをまた浴びたいです。

たたむ

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