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この優しい顔のななちゃんを描くのを数か月間楽しみにしていたのに没になったのであげちゃう。
でもやっぱり描きたいな~。このななちゃんを見上げている氷雨ちゃん(こっちも楽しみにしてたのに没にした)も合わせて新刊作業終わったらペン入れしようかな。ラフ残してるっけ…???
次回朗読劇の情報が出ましたね。
形態的に、スタリラですでに台詞が起こされている演目をやることで脚本コストを削減する方針だと思うのですが、演者にステラが入ってくるとは思わずびっくりしています。
さすがに文ちゃんが珠緒の役を演じると思うので、文の役を栞、ゆゆ子はそのまま、塁役を静羽、いちえ役をステラ&ララフィンという感じでしょうか。いちえ師匠の役を演じるのならステラじゃなくみんくのほうが繋がりあるし見たいかも。でもいちえ師匠の役を演じるステラを見て何か感じるみんくもいい(全部妄想です)
日常を描く必要がないので今後もこの形態が続くなら色んな組み合わせが見られそうだけど、キャラクターの関係性が見たい層は複雑かなあ。上記のような妄想で楽しむことは出来るけど、妄想と現実は比較にならないほどキラめきパワーが違う。スタァライト、キャラクターコンテンツとしては人類未踏の域にたどりついている…。バンドコンテンツでいう「ライブ」が、スタァライトでいう「朗読劇」や「THEMusical」だと言われると納得なんですが、なんか本当にすごいなと。この形態で続けていくっていう判断も、それを受け容れるファンもすごいと思う。
個人的には肩の力を抜いて追いかけやすくなったかなあ~と。全部繋がった物語だと全部観たくなるんですが、この形態だとそういうのはないので。気になったり、日程が合うものに気軽に足を運びたいな。
形態的に、スタリラですでに台詞が起こされている演目をやることで脚本コストを削減する方針だと思うのですが、演者にステラが入ってくるとは思わずびっくりしています。
さすがに文ちゃんが珠緒の役を演じると思うので、文の役を栞、ゆゆ子はそのまま、塁役を静羽、いちえ役をステラ&ララフィンという感じでしょうか。いちえ師匠の役を演じるのならステラじゃなくみんくのほうが繋がりあるし見たいかも。でもいちえ師匠の役を演じるステラを見て何か感じるみんくもいい(全部妄想です)
日常を描く必要がないので今後もこの形態が続くなら色んな組み合わせが見られそうだけど、キャラクターの関係性が見たい層は複雑かなあ。上記のような妄想で楽しむことは出来るけど、妄想と現実は比較にならないほどキラめきパワーが違う。スタァライト、キャラクターコンテンツとしては人類未踏の域にたどりついている…。バンドコンテンツでいう「ライブ」が、スタァライトでいう「朗読劇」や「THEMusical」だと言われると納得なんですが、なんか本当にすごいなと。この形態で続けていくっていう判断も、それを受け容れるファンもすごいと思う。
個人的には肩の力を抜いて追いかけやすくなったかなあ~と。全部繋がった物語だと全部観たくなるんですが、この形態だとそういうのはないので。気になったり、日程が合うものに気軽に足を運びたいな。
ひさななたくさん描きたくてページ数増えました!
結ブマルシェのときは表紙込みで130ページくらいだったのですが、今は本文だけで130ページあります。
100ページ越えると全部誤差なので、締め切りが許す限りページ数を増やしたいというのが正直なところ。でももうこれ以上はさすがに無理かな…もっと描きたいんですが…。
#ひさなな
久しぶりに眠れないので妄想日記
やっぱりひさななには「秘密の花園」をやってほしい。以前合同誌の中でインタビューを描いたんですけど、改めてぴったりだなあと思った話です。
どうもななって「子ども扱いされたら心を開く」ように描かれている気がする。TVシリーズを見たときは「大人びてるけど実際は17歳の女の子」くらいの意味合いで受け取ってたのですが、もっと幼い子のイメージで、更にそれが、ななが相手に心を開くトリガーになってる。だから氷雨ちゃんもソロモンの中で「お腹いっぱいの子どもみたい」だと言ってる。この台詞を氷雨に言わせることで、「ななは氷雨に心を開いている」と示したのだと思う。
で、どうして「子ども扱いされたら心を開く」のかなと考えたら、やっぱりななの一番深い繋がりが親子関係しかなかったのかなと。ここは完全に妄想ですが。友達への心の開き方が、経験的に親子的なものしかないというか。でも別に香子のようにはっきりと「甘えたい」わけではないんですよね。相手の優しさを独り占めしたいわけでもない。家の外では甘えないことは常識として持っていて、甘えた姿を見せるというのは、あくまで親しくなったサインかつ無意識の部分なのかなと思います。
あとこれって純那との特別な繋がりを維持するための設定なのかなと。もしこれがななの主軸になると、ななが欲しいのは一緒に舞台に立つ仲間ではなく甘えられる友達ということになっちゃうし、それってもう舞台とは関係ないし…。それでこれが♯2で言ってたななの「見せるほどのない弱さ」なのかなとも。(だからこそ、ソロモンの指輪で例の台詞を氷雨が言うのは本当に衝撃的なんですよね。氷雨はそこに到達できないものだと思っていたので)
と色々考えて、孤独で愛を求めるなな、それに対等に並び立つ氷雨という意味で「秘密の花園」はやっぱりぴったりだと思ったんです。友だちを子ども扱いするって、ある意味で相手を見下す行為だと思うんですけど、子ども扱いしながらそれを尊重できる物語だし、子どもであり大人びているコリンと、相手と常に対等に向き合おうとするメアリは、ななも氷雨もはまり役です。冬の庭園を整えて華やかな春を迎えるシチュエーションもぴったり。
今やってる新刊が落ち着いたら少し考えてみようかな。
たたむ
久しぶりに眠れないので妄想日記
やっぱりひさななには「秘密の花園」をやってほしい。以前合同誌の中でインタビューを描いたんですけど、改めてぴったりだなあと思った話です。
どうもななって「子ども扱いされたら心を開く」ように描かれている気がする。TVシリーズを見たときは「大人びてるけど実際は17歳の女の子」くらいの意味合いで受け取ってたのですが、もっと幼い子のイメージで、更にそれが、ななが相手に心を開くトリガーになってる。だから氷雨ちゃんもソロモンの中で「お腹いっぱいの子どもみたい」だと言ってる。この台詞を氷雨に言わせることで、「ななは氷雨に心を開いている」と示したのだと思う。
で、どうして「子ども扱いされたら心を開く」のかなと考えたら、やっぱりななの一番深い繋がりが親子関係しかなかったのかなと。ここは完全に妄想ですが。友達への心の開き方が、経験的に親子的なものしかないというか。でも別に香子のようにはっきりと「甘えたい」わけではないんですよね。相手の優しさを独り占めしたいわけでもない。家の外では甘えないことは常識として持っていて、甘えた姿を見せるというのは、あくまで親しくなったサインかつ無意識の部分なのかなと思います。
あとこれって純那との特別な繋がりを維持するための設定なのかなと。もしこれがななの主軸になると、ななが欲しいのは一緒に舞台に立つ仲間ではなく甘えられる友達ということになっちゃうし、それってもう舞台とは関係ないし…。それでこれが♯2で言ってたななの「見せるほどのない弱さ」なのかなとも。(だからこそ、ソロモンの指輪で例の台詞を氷雨が言うのは本当に衝撃的なんですよね。氷雨はそこに到達できないものだと思っていたので)
と色々考えて、孤独で愛を求めるなな、それに対等に並び立つ氷雨という意味で「秘密の花園」はやっぱりぴったりだと思ったんです。友だちを子ども扱いするって、ある意味で相手を見下す行為だと思うんですけど、子ども扱いしながらそれを尊重できる物語だし、子どもであり大人びているコリンと、相手と常に対等に向き合おうとするメアリは、ななも氷雨もはまり役です。冬の庭園を整えて華やかな春を迎えるシチュエーションもぴったり。
今やってる新刊が落ち着いたら少し考えてみようかな。
たたむ
https://kaze.dojin.com/?mode=gallery
作品一覧:
https://www.notion.so/kazeno-gallery-208...