#夜明けのリボン
20250114202016-admin.jpg
気づいたら1月が半分終わってました。
新刊の感想もWAVEBOXでいただいたりして嬉しいです。今回はスタリラなどの前提がないのが入りやすかったのかな。むしろオリジナル演目は読みにくいと思ってたのでよかったです。

演目は何であっても描きたいのはひさななのことなんですが、今回は「氷雨が書いた脚本」という設定のため深く描けなかった(かといって取り除くこともできなかった)部分があります。

それが「森は見ている、森の出来事はすべて」の意味です。

かんたんに言えば「森」は舞台で「木々」はキリン=観客、という裏設定がありました。

ところどころ、木の幹がキリンの模様になってます。
202501142020161-admin.jpg

当時の氷雨はまだ演者じゃないから森に入れない。そして森の中の出来事はすべて観客に見られている。という設定が、そもそも最初にあったのでした。

劇場版を観て以来「彼女たちは人生を燃料に演じ、観客はそれを見せられている」という感覚がどうしても抜けなくなってしまいました。スタリラでもそういう意味合いのストーリーがあったと思います。何もかもを観客に消費されるのが舞台少女だ、というメッセージは分かるのですが、そうじゃない部分を作りたかった。特にななは「観客に見られている」ことを誰よりも意識しているので、誰の目も届かない場所に連れていきたいと常々思っています。

ジクフリ本の『目覚めの温度』でも、誰にも見えないところで二人きりにしたかったと書きましたが、同じです。観客に消費されない場所へたどり着くほうが氷雨とななには合ってるかな~と思います。あと私たちの知らないところで私たちが知り得ないひめごとをしているというのが私の癖みたいです…。誰も見てないから急にひさななしだしても〇なのです。
たたむ

つぶやき