聖翔で誰かのフローラになれなかったななが、♯2で氷雨のフローラになれたというのをやっぱり大事にしたい。そして中学時代まで遡ると、氷雨がななを救っていた事実をやっぱり大事にしたい。アニメという枠の中に氷雨は出てくることは出来ないけれど、アニメを降りたななの傍にはちゃんといる。監督はアニメを一つの見世物として意識的に作ってることを思うと、これが観客に見せるための舞台だと知る再演中のななの台詞は(最初の一年を除いて)劇場版の最後まですべて観客に聞かせるための台詞なんだよなと思って。だから一人だけモノローグが多いし台詞回しが独特で、本音はほとんど見せない。ひかりはオーディションが観客に見られてると知っていて、ななは日常生活も観客に見られてると知っていて、華恋は観客を一切意識していなくて、真矢クロはライトが当たるところでお芝居をして、ふたかおは相手しか見えてなくて、じゅんまひは自分のために自分を演じている。そんな感じじゃないかと思います。それで、アニメそのものがななの再演の舞台なのだとしたら、そこから「降りる」ことがあるはずで、降りたところには氷雨ちゃんがいてほしい。舞台のななは素のななだと思うし(三浦さんは王道でシンプルな話作りをされるので複雑なメタ構造は入れてこないと思う)という日記でした。(以下、ななのキャラクター像についての追記)続きを読むアニメのななの言動は嘘だったという話ではなく、観客を意識したものだということです。ロンドロンドロンドでキリンに「演技」を求められるシーンがあるので、TVシリーズが終わって一度「アニメという舞台」から降りたななは、あそこでまたアニメの舞台に上がり、劇場版の前からお芝居を始めていた…ととれます。ただ涙は演技ではないと思うので、涙は彼女のお芝居が終わる合図なのかなと。ななのこの独特な立ち位置は、中の小泉萌香さんが、フリートークが苦手という部分に由来してると思っています。中の人の特性が反映されていると思うとなながアドリブ上手というのは考えられない。(なので狩りのレヴューで純那にアドリブ対決に持ち込まれて負けた)(言葉の対決となると氷雨ちゃんも得意なので…このへんもうちょっと深く掘り下げたいです)ななは最強とか天才とかいわれてるけど、私はやっぱり普通の女の子だと思ってます。再演という経験から自分の筋書きの中でだけは強くなれているだけ。というのが私の願望です。スタァライトの設定は、これ!という決まりはあんまりなくて、その場その場で矛盾しないように変えてる感じがするので、もう本当に、解釈とか考察じゃなくてただの願望です。ちなみに劇場版前から「アニメの舞台」が始まることを察知して、いち早くそこから抜けようと(塔から降りようと)華恋とレヴューしたのがひかりです。他の女神にキャスティングされてる6人は、劇場版が始まっても「自分が舞台の上にいること」を意識できなかったので、ななは皆殺しのレヴューでみんなに気づかせた。このままじゃ舞台少女として死んでしまうので。だから皆殺しはみんなを舞台少女として生かすためのレヴューなんですよね。「舞台少女の死」というテーマを与えたのはキリンなので、ななは観客の要望に応えたレヴューテーマを作った。純那に死を求めたのもその延長です。実際、6人の中で一番死にかけていた子とレヴューをしただけだと思います。でなければ、華恋を電車で送り出すところの「華恋はまだ次に行くところを決めてない(だから自分は手が出せない)」の台詞の説明がつかないような。ななはやっぱり聖翔のみんなを等しく好きなんだと思うな…。妄想でした😌スタァライト、後から後から「こうだったのかも」が出てきてやめられない。たたむ 2023.7.1(Sat) 03:35:50 つぶやき
そして中学時代まで遡ると、氷雨がななを救っていた事実をやっぱり大事にしたい。
アニメという枠の中に氷雨は出てくることは出来ないけれど、アニメを降りたななの傍にはちゃんといる。
監督はアニメを一つの見世物として意識的に作ってることを思うと、これが観客に見せるための舞台だと知る再演中のななの台詞は(最初の一年を除いて)劇場版の最後まですべて観客に聞かせるための台詞なんだよなと思って。だから一人だけモノローグが多いし台詞回しが独特で、本音はほとんど見せない。
ひかりはオーディションが観客に見られてると知っていて、ななは日常生活も観客に見られてると知っていて、華恋は観客を一切意識していなくて、真矢クロはライトが当たるところでお芝居をして、ふたかおは相手しか見えてなくて、じゅんまひは自分のために自分を演じている。そんな感じじゃないかと思います。
それで、アニメそのものがななの再演の舞台なのだとしたら、そこから「降りる」ことがあるはずで、降りたところには氷雨ちゃんがいてほしい。舞台のななは素のななだと思うし(三浦さんは王道でシンプルな話作りをされるので複雑なメタ構造は入れてこないと思う)という日記でした。
(以下、ななのキャラクター像についての追記)
アニメのななの言動は嘘だったという話ではなく、観客を意識したものだということです。ロンドロンドロンドでキリンに「演技」を求められるシーンがあるので、TVシリーズが終わって一度「アニメという舞台」から降りたななは、あそこでまたアニメの舞台に上がり、劇場版の前からお芝居を始めていた…ととれます。ただ涙は演技ではないと思うので、涙は彼女のお芝居が終わる合図なのかなと。
ななのこの独特な立ち位置は、中の小泉萌香さんが、フリートークが苦手という部分に由来してると思っています。中の人の特性が反映されていると思うとなながアドリブ上手というのは考えられない。(なので狩りのレヴューで純那にアドリブ対決に持ち込まれて負けた)(言葉の対決となると氷雨ちゃんも得意なので…このへんもうちょっと深く掘り下げたいです)
ななは最強とか天才とかいわれてるけど、私はやっぱり普通の女の子だと思ってます。再演という経験から自分の筋書きの中でだけは強くなれているだけ。というのが私の願望です。
スタァライトの設定は、これ!という決まりはあんまりなくて、その場その場で矛盾しないように変えてる感じがするので、もう本当に、解釈とか考察じゃなくてただの願望です。
ちなみに劇場版前から「アニメの舞台」が始まることを察知して、いち早くそこから抜けようと(塔から降りようと)華恋とレヴューしたのがひかりです。他の女神にキャスティングされてる6人は、劇場版が始まっても「自分が舞台の上にいること」を意識できなかったので、ななは皆殺しのレヴューでみんなに気づかせた。このままじゃ舞台少女として死んでしまうので。だから皆殺しはみんなを舞台少女として生かすためのレヴューなんですよね。「舞台少女の死」というテーマを与えたのはキリンなので、ななは観客の要望に応えたレヴューテーマを作った。
純那に死を求めたのもその延長です。実際、6人の中で一番死にかけていた子とレヴューをしただけだと思います。でなければ、華恋を電車で送り出すところの「華恋はまだ次に行くところを決めてない(だから自分は手が出せない)」の台詞の説明がつかないような。ななはやっぱり聖翔のみんなを等しく好きなんだと思うな…。
妄想でした😌
スタァライト、後から後から「こうだったのかも」が出てきてやめられない。
たたむ