つぶやき[179件](2ページ目)
新刊のあとがきに書いたように、おまけとか描いて載せるつもりでしたが、冬コミ後に体調を崩しましてお正月はゆっくり過ごそうかと。
気になるかたは1月後半くらいにまた覗いてもらえたら!
冬コミ自体はめちゃくちゃ楽しかったです!3時くらいまでいられたのかな。普段は空調とかの関係であまり長くいられないんですが、寒いことは寒いものの人の熱気がとにかくすごい。サークルスペースも広く、島中でも背面にポスタースタンドが立てられる余裕が十分あり、ぎゅうぎゅうじゃないのも居心地良かったです。一つの島も短めですよねたぶん。もちろんコロナ禍を受けてとか年々変わってるんだと思いますが、色々なところで感動してました。
12月に原稿するのは忙しすぎるからもうやりたくないけど、コミケよかったし、一般もありだな。
次の即売会は未定です。出るとしたらGLFesかな…。ひさななでまだ描きたいことがあるので、とりあえず形にする目処を立てます。
気になるかたは1月後半くらいにまた覗いてもらえたら!
冬コミ自体はめちゃくちゃ楽しかったです!3時くらいまでいられたのかな。普段は空調とかの関係であまり長くいられないんですが、寒いことは寒いものの人の熱気がとにかくすごい。サークルスペースも広く、島中でも背面にポスタースタンドが立てられる余裕が十分あり、ぎゅうぎゅうじゃないのも居心地良かったです。一つの島も短めですよねたぶん。もちろんコロナ禍を受けてとか年々変わってるんだと思いますが、色々なところで感動してました。
12月に原稿するのは忙しすぎるからもうやりたくないけど、コミケよかったし、一般もありだな。
次の即売会は未定です。出るとしたらGLFesかな…。ひさななでまだ描きたいことがあるので、とりあえず形にする目処を立てます。
明日は冬コミです!
初めてのコミケで色々緊張していますが、もう本は出来上がって手元に1冊ある時点で目的の8割は果たしていると思えば気楽に楽しめるかな。
既刊、本当は合同誌も持って行きたかったのですが、コミケ側に提出しなければならない余部がなくて断念しました。バレンタイン本はまだありますが思い切ってなしに。三種なら計算も手間取らないと思うし、落ち着いて頒布できそう。
体力があまりないので午後のどこかの時点で切り上げると思いますが、最初で最後かもしれないので、なるべく長く居座りたいとも思っています。心配なのはトイレかな。どれくらいの行列なんだろう…?
初めてのコミケで色々緊張していますが、もう本は出来上がって手元に1冊ある時点で目的の8割は果たしていると思えば気楽に楽しめるかな。
既刊、本当は合同誌も持って行きたかったのですが、コミケ側に提出しなければならない余部がなくて断念しました。バレンタイン本はまだありますが思い切ってなしに。三種なら計算も手間取らないと思うし、落ち着いて頒布できそう。
体力があまりないので午後のどこかの時点で切り上げると思いますが、最初で最後かもしれないので、なるべく長く居座りたいとも思っています。心配なのはトイレかな。どれくらいの行列なんだろう…?
次回朗読劇の情報が出ましたね。
形態的に、スタリラですでに台詞が起こされている演目をやることで脚本コストを削減する方針だと思うのですが、演者にステラが入ってくるとは思わずびっくりしています。
さすがに文ちゃんが珠緒の役を演じると思うので、文の役を栞、ゆゆ子はそのまま、塁役を静羽、いちえ役をステラ&ララフィンという感じでしょうか。いちえ師匠の役を演じるのならステラじゃなくみんくのほうが繋がりあるし見たいかも。でもいちえ師匠の役を演じるステラを見て何か感じるみんくもいい(全部妄想です)
日常を描く必要がないので今後もこの形態が続くなら色んな組み合わせが見られそうだけど、キャラクターの関係性が見たい層は複雑かなあ。上記のような妄想で楽しむことは出来るけど、妄想と現実は比較にならないほどキラめきパワーが違う。スタァライト、キャラクターコンテンツとしては人類未踏の域にたどりついている…。バンドコンテンツでいう「ライブ」が、スタァライトでいう「朗読劇」や「THEMusical」だと言われると納得なんですが、なんか本当にすごいなと。この形態で続けていくっていう判断も、それを受け容れるファンもすごいと思う。
個人的には肩の力を抜いて追いかけやすくなったかなあ~と。全部繋がった物語だと全部観たくなるんですが、この形態だとそういうのはないので。気になったり、日程が合うものに気軽に足を運びたいな。
形態的に、スタリラですでに台詞が起こされている演目をやることで脚本コストを削減する方針だと思うのですが、演者にステラが入ってくるとは思わずびっくりしています。
さすがに文ちゃんが珠緒の役を演じると思うので、文の役を栞、ゆゆ子はそのまま、塁役を静羽、いちえ役をステラ&ララフィンという感じでしょうか。いちえ師匠の役を演じるのならステラじゃなくみんくのほうが繋がりあるし見たいかも。でもいちえ師匠の役を演じるステラを見て何か感じるみんくもいい(全部妄想です)
日常を描く必要がないので今後もこの形態が続くなら色んな組み合わせが見られそうだけど、キャラクターの関係性が見たい層は複雑かなあ。上記のような妄想で楽しむことは出来るけど、妄想と現実は比較にならないほどキラめきパワーが違う。スタァライト、キャラクターコンテンツとしては人類未踏の域にたどりついている…。バンドコンテンツでいう「ライブ」が、スタァライトでいう「朗読劇」や「THEMusical」だと言われると納得なんですが、なんか本当にすごいなと。この形態で続けていくっていう判断も、それを受け容れるファンもすごいと思う。
個人的には肩の力を抜いて追いかけやすくなったかなあ~と。全部繋がった物語だと全部観たくなるんですが、この形態だとそういうのはないので。気になったり、日程が合うものに気軽に足を運びたいな。
#ひさなな
久しぶりに眠れないので妄想日記
やっぱりひさななには「秘密の花園」をやってほしい。以前合同誌の中でインタビューを描いたんですけど、改めてぴったりだなあと思った話です。
どうもななって「子ども扱いされたら心を開く」ように描かれている気がする。TVシリーズを見たときは「大人びてるけど実際は17歳の女の子」くらいの意味合いで受け取ってたのですが、もっと幼い子のイメージで、更にそれが、ななが相手に心を開くトリガーになってる。だから氷雨ちゃんもソロモンの中で「お腹いっぱいの子どもみたい」だと言ってる。この台詞を氷雨に言わせることで、「ななは氷雨に心を開いている」と示したのだと思う。
で、どうして「子ども扱いされたら心を開く」のかなと考えたら、やっぱりななの一番深い繋がりが親子関係しかなかったのかなと。ここは完全に妄想ですが。友達への心の開き方が、経験的に親子的なものしかないというか。でも別に香子のようにはっきりと「甘えたい」わけではないんですよね。相手の優しさを独り占めしたいわけでもない。家の外では甘えないことは常識として持っていて、甘えた姿を見せるというのは、あくまで親しくなったサインかつ無意識の部分なのかなと思います。
あとこれって純那との特別な繋がりを維持するための設定なのかなと。もしこれがななの主軸になると、ななが欲しいのは一緒に舞台に立つ仲間ではなく甘えられる友達ということになっちゃうし、それってもう舞台とは関係ないし…。それでこれが♯2で言ってたななの「見せるほどのない弱さ」なのかなとも。(だからこそ、ソロモンの指輪で例の台詞を氷雨が言うのは本当に衝撃的なんですよね。氷雨はそこに到達できないものだと思っていたので)
と色々考えて、孤独で愛を求めるなな、それに対等に並び立つ氷雨という意味で「秘密の花園」はやっぱりぴったりだと思ったんです。友だちを子ども扱いするって、ある意味で相手を見下す行為だと思うんですけど、子ども扱いしながらそれを尊重できる物語だし、子どもであり大人びているコリンと、相手と常に対等に向き合おうとするメアリは、ななも氷雨もはまり役です。冬の庭園を整えて華やかな春を迎えるシチュエーションもぴったり。
今やってる新刊が落ち着いたら少し考えてみようかな。
たたむ
久しぶりに眠れないので妄想日記
やっぱりひさななには「秘密の花園」をやってほしい。以前合同誌の中でインタビューを描いたんですけど、改めてぴったりだなあと思った話です。
どうもななって「子ども扱いされたら心を開く」ように描かれている気がする。TVシリーズを見たときは「大人びてるけど実際は17歳の女の子」くらいの意味合いで受け取ってたのですが、もっと幼い子のイメージで、更にそれが、ななが相手に心を開くトリガーになってる。だから氷雨ちゃんもソロモンの中で「お腹いっぱいの子どもみたい」だと言ってる。この台詞を氷雨に言わせることで、「ななは氷雨に心を開いている」と示したのだと思う。
で、どうして「子ども扱いされたら心を開く」のかなと考えたら、やっぱりななの一番深い繋がりが親子関係しかなかったのかなと。ここは完全に妄想ですが。友達への心の開き方が、経験的に親子的なものしかないというか。でも別に香子のようにはっきりと「甘えたい」わけではないんですよね。相手の優しさを独り占めしたいわけでもない。家の外では甘えないことは常識として持っていて、甘えた姿を見せるというのは、あくまで親しくなったサインかつ無意識の部分なのかなと思います。
あとこれって純那との特別な繋がりを維持するための設定なのかなと。もしこれがななの主軸になると、ななが欲しいのは一緒に舞台に立つ仲間ではなく甘えられる友達ということになっちゃうし、それってもう舞台とは関係ないし…。それでこれが♯2で言ってたななの「見せるほどのない弱さ」なのかなとも。(だからこそ、ソロモンの指輪で例の台詞を氷雨が言うのは本当に衝撃的なんですよね。氷雨はそこに到達できないものだと思っていたので)
と色々考えて、孤独で愛を求めるなな、それに対等に並び立つ氷雨という意味で「秘密の花園」はやっぱりぴったりだと思ったんです。友だちを子ども扱いするって、ある意味で相手を見下す行為だと思うんですけど、子ども扱いしながらそれを尊重できる物語だし、子どもであり大人びているコリンと、相手と常に対等に向き合おうとするメアリは、ななも氷雨もはまり役です。冬の庭園を整えて華やかな春を迎えるシチュエーションもぴったり。
今やってる新刊が落ち着いたら少し考えてみようかな。
たたむ
気づいたら1月が半分終わってました。
新刊の感想もWAVEBOXでいただいたりして嬉しいです。今回はスタリラなどの前提がないのが入りやすかったのかな。むしろオリジナル演目は読みにくいと思ってたのでよかったです。
演目は何であっても描きたいのはひさななのことなんですが、今回は「氷雨が書いた脚本」という設定のため深く描けなかった(かといって取り除くこともできなかった)部分があります。
それが「森は見ている、森の出来事はすべて」の意味です。
かんたんに言えば「森」は舞台で「木々」はキリン=観客、という裏設定がありました。
ところどころ、木の幹がキリンの模様になってます。
当時の氷雨はまだ演者じゃないから森に入れない。そして森の中の出来事はすべて観客に見られている。という設定が、そもそも最初にあったのでした。
劇場版を観て以来「彼女たちは人生を燃料に演じ、観客はそれを見せられている」という感覚がどうしても抜けなくなってしまいました。スタリラでもそういう意味合いのストーリーがあったと思います。何もかもを観客に消費されるのが舞台少女だ、というメッセージは分かるのですが、そうじゃない部分を作りたかった。特にななは「観客に見られている」ことを誰よりも意識しているので、誰の目も届かない場所に連れていきたいと常々思っています。
ジクフリ本の『目覚めの温度』でも、誰にも見えないところで二人きりにしたかったと書きましたが、同じです。観客に消費されない場所へたどり着くほうが氷雨とななには合ってるかな~と思います。あと私たちの知らないところで私たちが知り得ないひめごとをしているというのが私の癖みたいです…。誰も見てないから急にひさななしだしても〇なのです。
たたむ